虹色ロリポップキャンディー

アニメだったり、特撮だったりの感想等

HUGっとプリキュア テーマについて

HUGプリのテーマとは、なにか。前情報だと、育児や職業体験だったような気がします。始まると主役級のキャラにもテーマがあるとわかります。当たり前ですね。そのキャラクターを通して、伝えたいメッセージがあるのですから。

 まず、はなは、エールの名のごとく、応援。応援といっても、他人に頑張りを強要したり、拒否されたらどうするのか。意外と難しい問題です。さあやは、2世女優としての自分のあり方。ほまれは、スポーツ選手の挫折と復帰。このあたりがテーマかと思っていましたが、案外早く解決します。ほまれに関しては、プリキュアになった時点で解決です。さあやだけが一年間このテーマを抱えます。その後、はなには、いじめにあった過去があっったことがわかります。ほまれは、異生物との恋愛。追加戦士のえみるとルールーは、家族がテーマです。ルールーは、トラウムが改心してから特に明確になります。ただ、えみるはプリキュアになった時点でほぼほぼ解決です。

 敵のテーマは、社会復帰です。倒された幹部も、改心し、新たなことを始めます。最終的には、プリキュアにも協力してくれます。

 更に、アンリというキャラのジェンダーという問題も絡んできます。

 社会派プリキュアと言われるだけあって、重いテーマが多くあります。どこまでがテーマかと言われると微妙な問題ですが。これらを、どのようにプリキュアと絡めるかがその作品のみどころだと思っています。

HUGプリのこれらの問題が、プリキュアにならないと解決できないかというとそうでもないです。どちらかというと、解決したのちにプリキュアになって戦うという形式だったように見えました。これを解消するのが、オシマイダーという敵のシステムだったと思うのですが。オシマイダーを通して、その回の問題を解消する。特に顕著なのが、35話です。出産に関する回で、姉になることで母親の愛情を受けられなくなるのではないかという子供がいるのに、オシマイダーになるのは車を擦ったサラリーマン。あまりにも脈絡がないなと思いました。問題の解決した安息の地を守るために戦うだけのなら、プリキュアじゃなくて警察でもいいんじゃないかと。

更に、今思うとメロディーソードの件での剣の否定は、プリキュアの根幹の否定にも見えますね。拳で解決するのが全てではないですけど、拳のぶつかり合いの先に解決があるというのがプリキュアだったんじゃないかなと。15年もやれば、制作側がこのあたりに疑問をもっても不思議ではないですけど。

ここまで、テーマに関して述べてきましたけど、一番問題なのが、この作品の主題ともいえる育児が全くなされないことだったと思います。HUGという単語からも母性が重要なタームだと思っていましたが、どうもそうではなかったようです。育児はハリーに任せ、一緒にきゃわたんと言っているだけ、はぐたんも言葉を話すようになった程度の成長。これは実際の成長速度と同様なのかもしれないですが。はぐたんのお世話について、母親に聞いた回あったかな。忘れているだけなのだろうか。それに比べると職業体験は、まだ一年を通してやっていました。だからといって、そこで得られたことが何かの糧になっていたかと言われると疑問です。目標がよくわからないはなに、その経験が生かされるわけでもない。スケート選手やアイドルと明確な目標があるほまれとえみる・ルールーはそもそも、それに関する職業体験しているのかとも思います。さあやでは、生かされていましたが。思い出せるのがさあやだけっていうのもどうなんでしょう。

結論としては、HUGプリは、一年間やりたいテーマが結局、私には理解できませんでした。個人のテーマは、なんとなくわかるんですが、包括するようなテーマは結局、見いだせませんでした。制作陣のやりたいことが、わからなかったです。しいて言うなら、「なりたい自分になる」だと想像はできます。でも、これって育児と正反対のテーマだと思います。育児って他人への無償の愛を前提にしていると考えています。言葉も伝えられない赤ちゃん、HUGプリだと最早赤の他人です。他人への自己犠牲、自分の時間を分け与えることだと思っています。しかし、自己実現とは努力なしにはできないと思います。つまり、自分の時間を自分のためだけに費やす。有限な時間を自己と他人どっちに割り振るのか。現実には、どちらもできる人がいるでしょう。できない人のために社会保障があるのでしょう。少なくとも、このアニメだとハリーに預けて、職業体験をしているように見えました。最低でも、はなが育児に興味があるのかと言えば、そうでもないような。相反するこのテーマを扱うには、あまりにも描写が稚拙だったと思います。育児をテーマに掲げていなければ、さして気にも留めないのですが。